「工作とは何か」を考える。

職人や作家という言葉は大仰に聞こえますが、物を作る・考える行為は、なにも特別な事ではありません。

それは人間が本来持っている能力であり、他の生物よりも、より有利に、自由に生きていく為に進化の中で2足歩行となり、獲得した能力だと考えます。


そして、工作をする、ものをつくるという行為は、

「人がより良く活きる上で必要な要素」をたくさん含んでいるように思います。


例えば、

工作をするには、材料の特性や物の仕組み、各部品の形などの情報を整理し、まとめ、作り上げる能力が必要です。 (観察力、総合力)


説明など文章を理解し、図と物を一致させ、その通りに組み上げるためには手先の器用さはもちろんですが、イメージする力、空間把握能力などが必要となります。(技術、文章読解、計算、試行錯誤)


いざ形が出来ても、飾り付けや色付けのために、今までの記憶や経験を活かせなければ格好良くすることも、可愛らしくすることも、例えばロボットにも動物にもすることも出来ません。(生物や植物の知識、乗り物その他、文化歴史の知識、)


オリジナリティを出し、より多くの人に認めてもらうためには、そこからさらに一歩踏み込み、かけがえのない感性が必要となります。(作図、表現力、センス、道徳、モラル、)


それを可能にするためには、大変な労力や時間が必要になることも多々あります。(集中力、忍耐力、・・根性?)

工作から、多くのことが学べると思いませんか?

そして、これらの作業は形を変え、日々の暮らし、仕事で・・あらゆることに応用できるのではないでしょうか?


たくさんの工作教室を開催し、講師をつとめ、千人以上の老若男女と一緒に物作りをしてきましたが、色々と見えてくるものがあり、考えることもたくさんありました。


その中で気付いたことの一つではありますが、「昔から絵を描いたり、工作が苦手」という方も多くみられました。 

そもそも、なにをもって苦手とするのでしょう。

「苦手だけれど楽しい」から物作りをしている人もいます。「苦手だからやらない」という人との違いはどこにあるのでしょう。


多くの人が「苦手」なだけで、「嫌いではない」現状があります。

こんなにも楽しくて為にもなる「物作り」・・・。

どうしたら、「苦手」だけれど、「好き」になるのでしょう。


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幼いころの図画工作の経験を思い出してみてください。親兄弟や友達などに 「ヘタだなぁ」と言われた/言った経験がありませんか?物作りが嫌いだったり、避けている方々に、お話を伺うことも多々あるのですが、総じて皆さん「よく言われた」と答えます。


例えば、あなたは絵画教室やデザイン教室に通っているとします。

新しく入ってきた初心者の描いた絵を見て、講師が馬鹿にしたとします。デザイナーが見下したとします。

嫌な気持ちになりませんか? 馬鹿にするのではなく、せめて上手にできるようにアドバイスすればいい、教えてあげて欲しいと思いませんか? そして、あなたはその教室に通い続けたいと思いますか?

世の中のほぼすべての人(大人)は美術・工芸・デザインの世界とは無縁の素人であることが大半です。 それにもかかわらず、子どもの描いた絵や工作物に対して否定するような言い方で接します。

「キリンは赤くないよ。縞々じゃないよ。」、「青だと男の子みたいだよ、ピンクが可愛いんじゃない?」・・・・などなど。

子どもは子どもなりに考えて制作しています。まずは、なぜそうしたのか聞いてみましょう。それを聞いたうえでアドバイスをしましょう。

もしキリンが赤い縞々の動物だと思っているなら、図鑑を見せて正しい知識を与えましょう。 しかし、多くの場合、「赤が好き」だから「赤く」塗っています。 私はそれで良いと思うのですが駄目でしょうか。

もし駄目だというのなら、色々と学んできた私があなたの絵を評価しましょう。

「キリンは黄色ではありませんよ? そんな模様ではありません。よく見てください。 あなたは何を視て描いているんですか? 立体感もない。生き物にすら見えませんよ。」・・・と。 

そもそも、他人の考えを聞く前から否定するのは、ダメな人間のやる事です。 子どもが相手だからと言って、聴く耳を持たないという選択肢はありません。

ともあれ子どものころに、

「物を作る」→「嫌なことを言われる」 という流れを続ける内に、心理的にも「物を作る」事を避ける様になってしまう・・・そういう事もあるようです。

初期の「下手なことが当たり前の時期」に、初めから苦手意識を植えつけられてしまったり 思い込まされる事も多いのではないかと考えることもあります。

そのような場合、苦手意識を持ち「作る」事自体を初めから敬遠してしまうので、「下手」なまま、上達にもつながりません。 

何年も経験して「苦手」とするならまだしも、何が上手で、何が下手なのか分からない初期の段階で、その人の何が分かるのでしょう。

些細なことですが、このようなことが重なり、物作りや 子供の成長において1つの問題になっているようにも思えます。


きっと、誰しもが幼い時分、クレヨンから色や線が生まれることに不思議さや喜びを感じ、

紙をはみ出しテーブルや壁に絵を描き、怒られ・・

積み木が高く積めた時には嬉しさを、そして、失敗して倒してしまった悔しい時でも 面白さを感じ、再度チャレンジする心を持っていたはずです‥‥。


・・・

たかが図画工作、されど、図画工作です。


ものつくりから気付く事、学ぶことは、まだまだたくさんあります。

何か作ってみませんか?


作者

糸日谷 晃

東京造形大学デザイン科にて美術・デザインを学ぶ。
博物館に就職。 学芸員業務、工作室の運営に尽力。
ワークショップやイベントの企画、題材のデザイン・開発を手がけ、講師を務める。
現在、岡山県最高峰-後山の麓に工房を構えて活動中。


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